この糞尿的日記もついに6年目に突入することとなった。細々と良く続いたものだと思う。
ひとつ気づいたのは、僕自身、5年前と比べて大した成長を見せていないということだ。恐ろしいことだと思う。
『燃えよ剣』を「もえよつるぎ」と読むのだと勘違いしていた恥ずべき事実は忘れよう。ちなみに『燃えよ剣』の下巻はほぼ1日で読んだ。それくらい読ませた。
新撰組は京都で幕府に雇われた、一時的に結成されただけの過激派なのかと思っていたが、幕府の最期のときまで、あそこまで深く関わっていた(主に土方歳三)とは知らなかった。全体的には幕末から維新にかけての時代の流れを十分に感じることができて満足した。あと、土方歳三に大変興味を持った。
『坂の上の雲』は8巻の長編。この作品の日露戦争観はしばしば議論の的となっているようだけど、僕は物語として純粋に楽しもうと思っている。
2年前に硫黄島の戦いが映画化されるにあたり、僕は懸念を示した(参照:Daily Crap。(2004-07-25))。どうせ極度に偏ったアメリカ万歳な作品になるだろうと思ったのだ。しかしながら、イーストウッド監督は米国側と日本側の物語をそれぞれ1つの作品として独立させるという、ありそうでなかった非常に公平なアプローチを採ったためそれも杞憂に終わった。
この映画は戦後60年以上経った今でも自分たちの思いを込めてあの戦争を堂々と描くことができない(がっかりする出来の映画はつい最近あったけど)日本人に対する助け舟だと思っている。アメリカ人がここまで日本人に肩入れしてくれるなんて本当に感謝すべきだと思う(米保守派の人間にとっては『硫黄島からの手紙』は必要ないなんてことになるかもしれない)。イーストウッド氏は神。というか、アメリカ資本で作られた本作品が日本人の手で作られた作品よりもずっとよく当時の日本を表現出来ている(もしくは出来ているように見せることができている)というのはどういうことだろうかと思う。
映画自体は特に感動させようという演出なく、非常にドライに淡々と進んでいく。感涙を期待すると肩透かしを食らうだろう。僕は泣かせようという演出には反吐が出るタイプなので、これで良いと思った。
何しろこの映画の本当の価値は、あらゆるかたちのプロパガンダで形成された、太平洋戦争時の日本人=残虐な野蛮人、というイメージを世界で払拭してくれる可能性がある点だと思う。そういう意味でもイーストウッド=神。
娘。に対する興味が薄れたとは言ってもハロモニは毎週見ているから、最終的には誰がメンバーになるのかとちょっとドキドキしながら見ていた。
つんく氏の傾向として、異質異形の者を好むというものがあり、今回もそのような結果となった。正直な話、吉川、佐藤といったところが合格していれば、僕自身盛り上がったことだろう。非常に残念。
実は最終回だったという…。なぜ最終回がキッズだけなのかはよくわからない。が、この最終回の面子はキッズ愛好家にはたまらない。嗣永プロの挙動はすでに完成されており、僕を完全に魅了している。最初は「なんか気持ち悪いなぁ」などと思っていたが、今は最高評価である。この魅力を理解するまでに1年以上かかった。やはり、時代はキッズである。
ちなみに僕はハロプロに興味があるということを友達には言っても、キャバクラ嬢には言ったことがない。せめてキャバ嬢の前では普通の人間として振舞いたいと考えるからである。無意味なプライド。
本社の人々と2時間近く電話。1対8という圧倒的不利な状況の中、特に何を決めるというわけでもない話し合いが非効率に行われた。こんなの前の会社でやったら怒られるね。「議題や決定事項のないミーティングはミーティングではない」ってな感じで。
ドイツ語訛りの英語は電話だとかなりきつい。ただ、僕の英語も糞尿レベルまで落ちているので、自分で話しながら「やべぇ、何俺の英語、意味わかんない」みたいなことを考えていた。
直接行って話せば話は早いが、もはやそのような時間はない。
とはいっても、19時にはオフィスを出ることができる点が素晴らしいね。今日は19時の時点で僕が最後の一人。良心的な会社じゃないか。
この巻でついに日清戦争が始まる。この物語には主人公が3人おり(軍人である秋山兄弟と俳人・歌人である正岡子規)、場面が結構頻繁に変わるため同じペースで一気に読んでいくのがなかなか難しい。
戦争の場面になると途端にペースが上がる。「単縦陣」や「横陣」など今まで知らなかった用語についてはWebで調べながら読み進めた。
2週間ほど前に注文した結婚指輪が出来上がったということで、今日取りに行った。僕は11号、彼女は12号。このようなところにも格の差が出ているようだ。
多少「結婚をしたんだなぁ」という実感がわいた。
土日は過ぎるのが早い。明日からまた仕事。これがまたとんでもない状態になっている。本当の意味での素人がやるとこういうことになるという典型的な失敗例となりつつある。
僕は前職の時に散々文句を言ったが、前の会社の人々(特にマネジャー層)は間違いなくプロであったと思う。
鈴木愛理は確かに最近著しい変貌を遂げていて僕自身も非常に気になっているところだ。ただし、℃-uteはBerryz工房以上に露出が少ないため、大変残念である。
そういえば、金曜日の音楽戦士にBerryzが出ていてこれはすごく楽しかった。嗣永プロがかなりフィーチャーされていて、瞬き回数対決で負けて悔しがってなぜか飛ぶところなどは計算され尽くしたぶりっ子といった感じで、相変わらずの職人芸を見せていた。
仕事は一気にやばい状態になった。パンクした。でも、まずいことは事前に伝えているので、責任を取るような事態にはならないはず。
昨日は仕事の後に某焼肉店で豪勢に死ぬほど肉を食い、その後某クラブに行った。明らかに場違いだった。年齢層が明らかに低い。スーツを着ている人なんてほとんどいないし。
その後は豪勢にタクシーを拾って自宅まで帰ろうとしたんだけど、年末+大雨でぜんぜんつかまらず、結局六本木の某キャバクラに行くことに。ここで地獄を見た。
全体的にはそこそこのレベルでいい感じだったんだが、大雨だったこともあり人が多くてマンツーマンで女性がつかない。結局、立場上僕は一人で手持ち無沙汰にしている時間が長く、釈由美子っぽい感じの人と盛り上がってきたと思ったらチェンジとか、他の人についてる嬢から不愉快極まりないことを言われるなど、仕事だけじゃなくここでも踏んだり蹴ったりかよといった感じで最悪だった。
キャバクラで失敗したと思ったのは初めて。これで自腹だったら完璧にキレてた。東京のキャバクラはみんなこうなのか?というか、例の京都、大阪の店のほうが落ち着きがあって、女性も皆礼儀正しくてレベルの違いを感じた。東京は怖いね。
結局、家に帰ったのは4時過ぎ。死んだ。
2年前にオカルト板で繰り広げられた途方もない祭り。最高にエキサイティング。電車男なんて目じゃない。オカルト好きはその圧倒的な謎の前に興奮するだろう。結局、真相は謎のままというのもオカルトっぽくて好き。ものすごく長いけど、彼らと一緒に冒険するつもりで、年末年始に読んでみてもいいんじゃないか?
書くこと(メール)に関しては、米国時代のレベルにまで確実に戻った。話すほうは相変わらず危険なレベルである。しかしながら、メールで内容を補足することにより要点はきちんと押さえた上でコミュニケーションはできている。
むしろ今は本社の人間のあまりの楽観ぶりに大変困っている。これは言葉の問題じゃなく、カルチャーの問題で、なおかつそのカルチャーとは民族とか国のカルチャーじゃなくて会社のカルチャーっぽいということが分かり幻滅した。
上記のような事情を考えると前の会社は国は違ってもすべての社員が共通の思考や方法論をしっかりと守っていて、すごく統一感があったんだなぁと今更関心した。何よりもロジカルなものの考え方が当たり前のように通じる点が素晴らしい。
「やるといったらやるんだ」って、ガチガチの日本企業で化石化しつつある"non-value added middle management"ですかと言いたい気分。
今年も帰らないことにした。面倒くさくなってしまったのと、今回帰ると親戚中のさらし者になってしまうからというのが大きな理由。僕たちは外部との関係を極力さけて生きていきたいと考えている。
とにかくゆったりと過ごしたい。